差しだされるアンパン一片

天文学的数字の量の記事を殴り書きたい。

第六感が発見されたので

第六感が科学的に発見された

www.sankei.com

詳しく知りたければ上の記事を読めばいいのだが、ネット上の記事というのは、いつアクセスできなくなるかわからないので、そういう場合に備えて、要約を書いておく。

 

"東京大などの研究によると、人間には磁気を感じる力があるということがわかった。この磁覚は、渡り鳥やハチなど多くの動物にも備わっていて、人間にも遠い昔には備わっていたが、退化したと考えられていた。ただし、この磁覚を利用することは非常に難しいらしい。"

 

というわけで、磁覚という力は非常に弱いらしいが、それでも確かに我々の中に存在するらしい。まあ厳密には、研究が公表された⇒科学的に証明された、というのは、ちと横暴であるとは思うが、これは正しいと仮定して以下の話を続けていきたい。

第六感という言葉は使えなくなる

第六感ときけば、それは、スピリチュアル的な、超自然的で超科学的な、そんな神秘的力をイメージするだろう。実際、多くの、その言葉の利用者たちは、そういう表現をしたくて使ってきたと思われる。だが、実際に第六感が発見されてしまっては、もはや上述の意味合いでは使えなくなるだろうし、使えば意味不明である。なぜなら、第六感という言葉には、未知の力、というニュアンスが含まれていたはずだが、実際に第六感が具体的に発見されては、第六感という言葉は一体、六感のうちのどれを指す言葉なのかわからない。今はまだ、第六感は発見されて間のないので、磁覚を指す言葉だと認識してくれるかもしれないが、その認識も時間という溶媒によって希釈されていくだろう。

第七感という言葉は使えるか

第六感という言葉が、これから使えなくなるとしたら、その言葉を代替するものは、第七感という言葉だろうか。しかし、人類が長い間、五感が感覚のすべてだと思っていたら、ほんとに第六感があったとなれば、第七感だって神秘的でもなんでもなく、リアリティをもって存在するのではないか、と思ってしまうのが人間である。実際ぼくには、雑音の中でも100メートル先の足音を聞く、超聴覚が備わっているし、「神の声を聞いた」と本に書いた人も大勢いる。そんなわけで、人体の謎はいまだに多く存在しているわけだから、他にもいくつの感覚が備わっているかわからない。かつて我々が使っていた、第六感とおなじニュアンスを持つ言葉は、その存在の証明によって、未来永劫失われたのかもしれない。